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会員のビジネスモデル事例(㈱NENGO・神奈川宅建所属)/全宅連 不動産総研【RENOVATION】より

2019.03.29

全宅連不動産総合研究所では、住宅確保要配慮者への居住支援や街づくり・地域活性化、空き家対策等、ハトマーク会員をはじめ全国の事業者が自らの事業を通じて社会や地域に貢献し、ビジネスとして成立させている先進的なビジネスモデルを自ら取材し、毎年報告書『RENOVATION』としてとりまとめ、ホームページで公表しています。

今回は『RENOVATION2018』に掲載の株式会社NENGO(神奈川)をご紹介します。

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地域の“らしさ”をデザインし「100年後の街つくり」を目指す
~不動産業は「目の前の人を幸せにする」プロフェッショナル~
株式会社NENGO 代表取締役 的場 敏行氏

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(この記事は全宅連不動産総合研究所が2019年6月に発行した『RENOVATION2017』に掲載された内容の転載です。掲載内容は2018年取材当時のものです。)

 

■お客様を幸せにする住宅を作る

──不動産から建築まで事業領域が広いですが、どのように展開されていったのですか?

的場社長:私は大学卒業後、ホテルでサービス業に従事、その後父が創業した耐火被覆工事を行うオリエンタル産業㈱に入社しました。サービス業から建築業に移って最も驚いたことは、お客様からありがとうと言われることを大切にするのではなく、まず利益を優先にする業界の風潮でした。

このような姿勢で人の生活基盤となる家やまちづくりに携わってはいけないと思い、企業理念を作りました。それが、「私たちは企業活動を通じて“世のため人 のため”に貢献します」というものです。

次に取り組んだのが、“地球環境を守る”ということです。大学で環境経済学を学んでいたこともあり、住宅の仕事を通じて地球環境の保全に寄与しようと、断熱の仕事をするようになりました。

断熱材の提案や工事をしていると、必然的に建物自体に目がいくようになります。その時に感じたことが、“消費者は家を買うまでは一生懸命だけれど、そのあとは自分の家に関心や愛情を持っていない”というものです。

そんなある日、アメリカ人が家族で家のペンキを塗っているTVを見て、すぐに「これだ」と思いました。自分たちの家に皆で手を入れることで、家族の絆が深まり、住まいやまちに愛情や興味を持つことができるのではないかと考えたのです。

そこで、世界で一番のペイントを探し、豊かな色と本物の質感を持つオーストラリアのポーターズペイント( PORTER’SPAINTS)に出会い、総代理店契約を結びました。しかし、当時はペイントは全く売れませんでした。それならば自分たちでペイントを使う物件を作ってしまおうと建築工事業を始めました。

──建築工事業から不動産業に展開されたのですね。

的場社長:社内で建築工事部を立ち上げると、ポーターズペイントがご縁で設計士やデザイナーからたくさん仕事をもらえるようになりました。しかし、それは単なる下請け仕事にすぎず、自分たちが思っているような仕事はできませんでした。やはり、お客様を本当に幸せにする物件を作るには、自分たちが川上からコントロールできなくてはならないと思い、不動産業を始めることにしたのです。

そして、今から約15年前に不動産事業部を設け、日本で初めての中古不動産売買専門サイト「おんぼろ不動産マーケット」を立ち上げました。

当時はリノベーションという言葉もなく、中古物件を検討する人は、購入後の住まいのイメージを明確にできないまま、不動産会社とリフォーム工事を別々に依頼していました。

そこで当社では、中古物件の購入からリノベーションまでワンストップで行うサービスをスタートしました。その後、賃貸物件管理や「仕立てる賃貸」事業、そして新築のコーポラティブハウス事業へと展開していきました。

■プロとして目の前の人を幸せにする

──「仕立てる賃貸」は、どのように行っているのですか?

的場社長:賃貸物件のオーナーが古い物件が空き室になって困っていても、多くの不動産会社は家賃を下げるか設備のリフォームの提案をするだけでした。しかしオーナーは投資をしても果たして入居者がつくかどうか心配です。

そこで発想を逆転させて、入居者を先に決めて、そのあと入居者の意見を聞いてリノベーションするという仕組みを作りまし た。それが「仕立てる賃貸」です。オーナーは入居者が既に決まっているので安心してお金がかけられますし、入居者は賃貸物件を、間取りそのものから自分の好みの部屋に“仕立てて”住むことができます。“住まい手参加型”で部屋を作るため、入居者の満足度は非常に高く、外出先から帰る際も、賃貸マンションに帰るのではなく、あたかも所有しているマンションに帰るような感覚を持ってくれるようです。

その結果、入居期間の長期化につながり、賃貸経営が安定します。入居者はコミュニケーション能力の高いクリエイティブ系の職業の人が多く、自分の作品のショールームとして部屋の一部を使ったり、自分の部屋に友人を招いて、部屋作りの世界観を熱く語ったりしているようです。その結果、物件には同じような価値観を持つ人が集まり、ウエイティング客ができ、空き室が出てもすぐに埋まるようになります。そうなれば物件全体の価値が高まり、家賃も上げること ができます。

このように「仕立てる賃貸」は、貸し手も住まい手も幸せになれる仕組みです。この取り組みは部屋毎に行っていましたが、当社は企画、入居者募集、デザイン、工事、管理まで全て一気通貫でできるので、最近では一棟全体のリノベーションや、大手企業からの依頼も増えています。

──今までの不動産業者とは全く違う発想です。

的場社長:私たちは不動産業をやっているとは思っておらず、コンサルティング業またはプロデュース業だという感覚で仕事をしています。不動産には情報の非対称性があるといわれていますが、旧態依然とした、こちらが情報の提供者で、消費者は受取手というスタンスは一切持っていません。

当社の企業理念には“世のため人のために貢献する”とありますが、それは「目の前の人を幸せにする」ということです。目の前の人を幸せにすることができれば、自分の周りにはいつも幸せな人があふれてきます。その結果、自分も幸せになります。そのためには目の前にいるお客様の家族やバックグラウンドを把握し、その人にぴったり合う不動産を提案することがプロとしての最低条件です。

私は社員に、お客様に対して“あなたにとってナンバーワンのパートナーになりますので、私に仕事を下さい”といえるように、「ナンバーワン」で「オンリーワン」の存在にならなくては駄目だといっています。当社のコーポレートマークは「富士山」です。富士山は日本一の山ですが、二つとあらず(不二)とも書きます。

また、“ブラックジャックを目指そう”とも言っています。スペシャルな仕事をすれば、無理な営業をしなくても紹介やリピートの仕事が入り、高い報酬がもらえるからです。したがって当社はあい見積もりの仕事は一切受けません。お客様も私たちも時間と費用が無駄になりますので、最初にコンサルティング契約を結んでから仕事を進めます。

そのためのスタンスとして常に大事にしているのは、「親兄弟や友達に対して話すことと、お客様に対して話すことを一緒にする」ということです。自分の親が物件を買おうとしている時に、専門家から見て良くないと思ったら買うのを止めるはずです。しかし仕事になった瞬間に、目先の契約を考えて逆のことをしてしまいがちになります。

お客様と一期一会の出会いの中でそのような仕事をしていると会社の信頼も失いますし、業界もよくなりません。自分の親なら止めるように、目の前の人が例えその物件を気に入っても、専門家から見て駄目だったら止めるようにアドバイスをすることが大切です。“コンサルティングの視点と専門家としての見地を生かし、目の前の人を幸せにする”という姿勢が当社の仕事のスタンスです。

■地域の気候・歴史・風土・文化を読み込む

──社名に込められた意味を教えてください。

的場社長:2013 年、創立30 周年のタイミングで社名を㈱NENGOとしました。その際ミッションとして掲げたのが、「100 年後の街つくり。気候、風土、歴史、文化をいかし『らしさデザイン』をすることで“住みたい”“遊びたい”“働きたい”街をつくります」というものです。つまり、“将来(数十年後)を見据えて家づくり、まちづくりをしていきましょう”ということです。

これから日本の人口は減少していきます。日本を元気にするために不動産業界がすべきことは、まず、夫婦の愛情が深まり、子作りや子育てがしたくなるような家づくりをすることです。もう1つが、まちの「らしさ」を作ることです。人口が右上がりの時代では、どこであろうと人が集まっていましたが、これからはそうはいきません。

まちの「らしさ」を作り、それに心地よさや愛着や憧れを感じることができて始めて人が集まります。そして、「らしさ」にはオリジナリティが必要です。「らしさ」をデザインするには、その土地の「気候、風土、歴史、文化」を読み込んで、まちをどうしたいのか、どうしていくべきなのかを考えなくてはなりません。

──具体的な事例を教えてください。

的場社長:川崎市川崎区日進町にある食品包材会社の本社ビルと工場や社員寮だった建物のオーナーから建屋の活用について相談をいただきました。建物を壊してもいいし、残してもいいということだったので、企画にあたっては、“算数(収支計算)”“国語(コンセプト)”“美術(デザイン)”の順で考えました。

コストを計算すると、更地にして新築に建て替えるより、建物を残して活用する方が合理的と判断しました。次に日進町の歴史や風土を読み込みました。このあたりは高度成長時代を支えてきた京浜工業地帯に働く労働者のための簡易宿所街(ドヤ街)が立ち並ぶ場所で、今でも良い意味で“猥雑さ”が残ります。一方、近くの羽田空港は国際空港となりました。

そこでまず、「東海道の宿場町だった川崎を“世界の宿場町”にしよう」「スケベな街を“セクシーな街”にしよう」という街のコンセプトをつくりました。そして、この物件にクリエイティブな会社や飲食店が集まるハブを作り、世界中からさまざまな人が集まり触れ合うことで、“発酵”し、新たな仕事や文化を生み出す拠点にしようとプロジェクトの関係者で考えました。

さらに、建物とまちが刻んできた歴史的背景を感じられるよう、外観は極力変えずまちになじむようにリノベーションし、シェアオフィス、カフェ、ファブラボなど多彩なテナントが入居する複合ビル「unico」として2017 年にオープンしました。

また同プロジェクトがきっかけで川崎市から簡易宿所街の活用の相談を受け、その内1 棟を購入し、日本をはじめ世界中から学生が集まる就職活動の聖地にしようと構想しています。大山街道沿いのプロジェクトもまちの歴史や文化を読み込み、まちがどうなって欲しいかを考えた上で進めた結果、“住みたい、遊びたい、働きたい”街になるための起爆剤になりつつあります。

それ以外にも、ユニークな企画としては、南武線久地駅からほど遠いゴルフ練習場とバッティングセンターの活用例があります。オーナーからはバッティングセンターをアパートに建て替えたいという相談がありました。ゴルフは比較的高齢の大人がやりますが、野球は若い親や子どもが対象になります。

そこで運営を立て直すために、その世代から人気のあるアンダーアーマー社※1 をまず誘致しました。そして近くの使われなくなったビリヤード場に、青年層から人気のボルダリング施設を誘致することで、親子三代が揃って訪れスポーツを楽しむことのできる“スポーツヴィレッジ”にできると発想し、プロデュースを行いました。その結果、休日には家族連れでにぎわう場へと生まれ変わりました。
※1 UNDER ARMOUR。アメリカのメリーランド州ボルチモアに本社を置くスポーツ用品メーカー。

■企業理念・ミッションの浸透と社員の自立をはかる

──企業理念の浸透はどう図られていますか。

的場社長:企業理念の浸透は日々の中で繰り返し確認していく必要があります。そのために私と社員4 人が車座になって理念について話し合うミーティングを、1人当たり3回行っています。“目の前の人を幸せにするということはどういうことか”“どうすればそれが実現できるのか”ということについてじっくり語り合いながら、社内に理念に基づく考え方を根付かせていきます。

──若い社員に力強いメッセージを出しています。

的場社長:これから日本は厳しい時代を迎えることになり、若者は大変です。社員には1人で生きていく力を 身に付けて欲しいことから“自分ブランドを確立しろ”と要望し、評価制度もアウトプットの比重を高め、“二足のわらじ”の働き方も可にしました。独立できるくらいの人間がいれば、社内に絶対いい影響を及ぼします。

私の経営者としての理念は、利他の心を持ち、まず社員とその家族の幸せを大切にすることです。その次に協力会社とその家族、その次がお客様、そして地域社会、株主という順番です。やはり社員にはつらい人生を送って欲しくないので、“歯車になるな、仕組みをつくれ”“会社を利用し尽くせ”と日頃から伝えています。

 

■事例紹介【大山街道プロジェクト】
大山街道沿いに築29年の賃貸マンションと未利用の隣地を所有するオーナーから、「数社の不動産業者に未利用地について提案を依頼したが、どうもしっくりこない」と相談がありました。話を聞くと、自分の要望がはっきりと形にできていない様子でした。そこでじっくり対話を重ね、要望を聞きだした結果、将来子どもが相続するにしても売却するにしても、選択できるように、新築の木造賃貸物件にすることにしました。

というのも、この場所の建ぺい率と容積率であれば、高層の賃貸ビルを建てることは可能ですが、RC造で建てると既に建っているマンションと築年数が合わず、相続が発生する際に困ります。そのため減価償却期間を合わせることのできる木造の提案をしたのです。そして、それまでオーナーは無借金経営をしてきましたが、計画的に負債を負うことも決めました。

それからまちのコンセプトを考えることにしました。まず、新しくできる建物がこのまちにどうあるべきかを考え、地域の歴史をひも解きました。大山街道は江戸赤坂御門を起点として雨乞いで有名な大山阿夫利神社に延びる道で、かつて多くの物資が往来し文化や情報が行きかっていた歴史ある街道でした。それが今では1日1万台の車が通る、単なる通過道路になり、趣のあった建物はほとんどが高層マンションに変わってしまいました。

また、人口動態を見ると、若者は流入しているにもかかわらず、昼間人口と夜間人口がまるで違う谷間のまちになっています。このようなまちの歴史と現状を重ね合わせ、オーナーの要望を取り入れつつ、どんなまちにしたいかということを考えました。その答えが“人が歩くスピード、もしくは自転車が走るスピードが最も心地よい街”というものでした。

さらに歴史や文化を調べると、ここは芸術家岡本太郎※2の生誕の地であり、人間国宝の濱田庄司※3のゆかりの地です。そして、畳屋や内装屋などの職人が店や軒を構え、伊豆方面から魚介、茶、椎茸、タバコが江戸に運ばれていました。

そこから出てきたキーワードが、①アート ②教育 ③手仕事 ④食 です。これらの結果をまとめて、大山街道のコンセプトを「食とアートと文化に囲まれた、自然と共存するヒューマンフレンドリーな小さな街」にしていこうと提案しました。

具体的なプランとしては、この街道沿いは歩道が少なく危ないので、まずセットバックの条例を生かして安全性を確保し、1階をレストラン、もう1棟のマンションとの間を入居者や地域の人が共有できるポケットパークにすることにしました。

ポケットパークは「たまり場」として、母親同士のコミュニケーションの場になったり、マルシェを開催して近隣の農家で採れた野菜を販売したり、街とつながる図書館を作り、母親がレストランにいる間も子どもたちが安心して遊べるようにします。また、建物や外壁にはポーターズ・ペイントを塗り、ポケットパークに敷き詰めたタイルも手仕事で仕上げました。さらに、2階の住居には大学の教授が入居者として入り、その一部で寺子屋を開設してくれたのです。

このプロジェクトはオーナーや入居者の満足度がとても高いものになりました。入居者は10年住んでもいいと言ってくれています。このように街のコンセプトをしっかり決めてハードを作りこんでいくと、賃貸物件でも長く住みたいと思ってくれるのです。

お客様にとって何が価値なのかということを考える上で、その地域の気候、風土、歴史、文化を読み込んでいくと、価値の創造に結びつくファクターが必ず見つかります。その要素を徹底的に磨くとその先にビジョンができ、それを強い思いで実現していけば、目の前の人全てが幸せになるという結果が生まれてきます。
※2 芸術家(1911年-1996年)。代表作品は大阪「太陽の塔」渋谷駅「明日の神話」など。
※3 陶芸家(1894年-1978年)

 

【株式会社NENGO】
代 表 者:的場 敏行
所 在 地:神奈川県川崎市高津区下作延7- 1- 3
電 話 :044 – 829- 3324
H P:http://www.nengo.jp/
業務内容:建築工事業、耐火被覆・断熱工事事業、PORTER’S
PAINTS事業、不動産事業、仕立てる賃貸事業、コーポラティブハウス事業、ブランディング・コンサルティング事業

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この事例が掲載されている報告書『RENOVATION2018』の全編は全宅連ホームページからご覧いただけます。

RENOVATION2018(PDF)[80MB]

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